「キューポラのある街」と北朝鮮による拉致 ①

 つい最近まで「北朝鮮」を「朝鮮民主主義人民共和国」と言っていたし、わたしは教科書でそう習った。北朝鮮は民主主義な国であると思っていた人が多かったに違いない。わたしも、何の根拠もないが国名に「民主主義」をつけているのだから民主主義の国に違いないだろうと勝手に思っていた。しかし、拉致問題が表面化し北朝鮮の日本人拉致が疑惑ではなく本当だったことで、この国の実態が徐々に明らかになってきた。北朝鮮の金正日は十数人の日本人拉致を認め、そのうち5人とその家族を日本に返したのが8年前(2002年)のこと。 それまで、日本社会の中に「拉致はでっち上げだ」とか、「拉致などする訳がない」などと言っていた政治家や文化人などはその後何をしているのやら?その代表的な政治家が、社民党(旧社会党)の土井たか子であった。日本の政党の党首であり、国会の議長まで経験した日本の国会議員だった。
 そもそも、彼女たち親北朝鮮の方々の「北朝鮮礼賛」の根拠は何なのか? 勝手な思い込みなのか?それとも、自分の祖国だからなのか?・・・・
 
 50年前、在日帰還事業で多くの在日朝鮮韓国人やその家族が日本から北朝鮮へ渡ったまま帰ってこれなくなった。「地上の楽園」という美名のもとで、その言葉を信じて、北朝鮮に渡った多くの人達がいたことを忘れてしまったのだろうか?その当時、日本赤十字と朝鮮赤十字が中心になって帰還事業が行われていた。その在日帰還事業のことが裏のテーマになっているのが、吉永さゆり主演映画「キューポラのある街」である。
 わたしの生まれ育った鋳物の街「川口」が舞台になってできた日本映画である。荒川の土手や芝川、川口南中、新荒川大橋、川口陸橋、川口市役所などは今もそのまま残っている。わたしの父も鋳物工場で働く「鋳師(いもじ)」だった。40年以上も同じ鋳物工場で働いていたが、鋳物産業の衰退で会社がなくなり、その後引退。孫と平和でのんきな隠遁生活のはずが・・・
 
 平成16年夏、衝撃的な事実が明らかになった。北朝鮮から届いた1まいの写真の人物が、28年前(昭和51年)に姿を消した、自分の息子(わたしの兄)藤田進であることが明らかになったことだ。あれから6年になろうとしている。
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