年末の失踪② 鹿児島の園田夫妻12/30

 38年前の昨日、川口で井上克美さんが失踪した次の日、昭和46(1971)年12月30日鹿児島で夫婦が車ごと忽然と消えてしまった。有り得ないしあってはならない出来事です。調査会の公開情報によると


園田一さん(53)園田敏子さん(43)夫妻ともに車で正月に帰省する次女を迎えに宮崎空港へ行く途中、ガソリンスタンドに寄った後、消息を絶つ。都城市へ寄ってから国道269号線を走って行くと言っていた。失踪後、警察や近所総出で大規模な捜索を行ったが、車の破片さえ発見できなかった。平成16年9月28日、鹿児島県警に告発状提出。


 去る11月2日に中井大臣との面会の際、対策本部で渡された園田一さん・敏子さんご夫妻の長女である前山利恵子さんから鳩山総理への嘆願書です。
両親を同時に奪われた娘の悲痛な思いを感じて下さい。
 

拉致問題対策本部長 鳩山由紀夫大臣 様

 この度は特定失踪者家族へのご協力有りがとうございます。

 私は北朝鮮による拉致の可能性が大きいとして特定失踪者問題調査会の1000番台リストに登載されている、特定失踪者の園田一、敏子の長女で前山利恵子と申します。
  私の両親園田一、敏子は昭和46年12月30日に大阪から帰る娘を迎えに鹿児島県曽於郡大崎町の自宅から車で宮崎空港へ向かったまま消息不明になり今年で38年目を迎えようとしております。
  失踪当時両親はジャパン・ファームという養鶏場の管理人として働き、中学生の私の弟と3人で裕福とまでは言えませんが、ごくふつうに暮らしておりました。

 借金や近所等のトラブルもなく、娘の帰りを楽しみに冷ぞう庫にはご馳走をいっぱい作り、可愛がっていた弟を一人残したまま出かけております。

 それに三女の成人式の晴着を買う予定もありました。

 両親は人一倍子煩悩で自らの意志で失踪するような理由は何一つなく、失踪当時、集落の方々や両親の友人・知人・消防警察の方々と幾日もありとあらゆる方向から大変な捜索が行われましたが、手がかりは何一つ見つからず、現在まで車すら見つかってません。
  私達は蒸発、借金、夜逃げと心ない噂に泣き明かし、両親の元気な姿だけを思い描き、心からどんなに捜し回ったか知れません。
  その後何ら手がかりのないまま時だけが過ぎ去って行きました。
  なんとかしなければいけない、いけないと思っている頃に調査会の荒木先生を紹介していただきまして、今現在、大変お世話になっております。
  当時、鹿児島県指宿郡穎娃町馬渡海岸でゴムボートに乗った不審な人たちが目撃されて警察においては朝鮮総連幹部2名捕えられました。
  そんな事件の僅か二ヶ月後の両親の失踪事件があり、このようなことからも特定失踪者問題調査会の協力を得まして平成16年10月に鹿児島県警に拉致の疑いが濃厚であるとして告発状を提出し受理されました。

 情報と致しましては平成16年にフライデーという本に北朝鮮の脱北者で(権革:コン・ヒョク)という人が母の写真を見て北朝鮮で見かけているとの記事が掲載されました。
そして昨年11月頃より「母・園田トシ子と思われる女性が北朝鮮国内に生存している」旨の証言もあります。

 この外にも母らしいの証言が聞かされておりますので、
  私たちもその女性が!!お母さんなのではないか!!と思うようになりました。両親が失踪して38年、今年も又12月がやって参ります。年末が近づくにつれ、当時のことがつい先日のような思いで、悲しさがますます大きくなり胸がもうはりさけそうでなりません。二人共かなりの高齢になっております。父91才、母80才、何分にも時間がありません。体調も心配で仕方ありません。どんなに頑張ったところで年にはかてません。本当に心配です。

 私達は口に、言い表せない程の辛い年月を過ごしてきております。一日たりとも両親のことを思わない日はありません。

 拉致は重大な犯罪です。必ず救出されなければならない問題です。認定された家族も、私たち特定失踪者家族も思いは同じのはずです。

 両親の残されたわずかな人生を取りもどして下さい。

 そして、待ちわびた日本の地で、ふる里で、ゆっくりと休養させてあげたいのです。

 

次は、約1年前、平成20年(2008年)の10月に平沼拉致議連会長に渡された娘 前山利恵子さんの手紙です。

拉致議連議員の皆様方へ

 平素から、拉致議連議員の皆様には拉致解決のためご尽力賜りまして、心から有難く感謝致しております。私はかご島県出身で特定失踪者、園田 一・トシ子の娘でございます。

 私の両親、特定失踪者の園田 一・トシ子は、1971年12月30日に、大阪から正月休みで帰省する娘を迎えに、車で宮崎空港へ向かったまま突然に消息不明になってしまいました。今年の12月30日で37年という長い年月を迎えようとしております。

 ありとあらゆる大変な捜索を、幾日も集落の方や地元の消防、知人、警察の方々としていただきましたが、ハンカチ一枚出てこない不思議な事に巻き込まれてしまいました。娘の帰りを楽しみに、冷蔵庫にはご馳走を一杯入れ、そして、三女の成人式のために晴れ着を買うつもりで出かけて行った両親が、自らいなくなる原因は一つもありません。

 蒸発・借金等々、色々悪い噂に泣き明かし、どんなに探し回ったかしれません。とても子煩悩で、人の世話も良くする両親でした。そして家には、15歳の弟もおりました。末っ子で、可愛がっていた弟を一人置いて失踪するような両親ではありません。当時から今現在でも、一度たりとも自分の意思で出て行った事はありません。

 両親はかなりの高齢になっております。もう時間がありません。子供5人もそれぞれに年を重ねて両親の年を越え、当時15歳の弟も父の年齢に近づいております。

 どんなにか長い長い月日のながれです。一日たりとも両親を思わない日はありません。どんなに月日は流れても、逢いたさは募る一方です。

 調査会に両親の事を御願い致しましてから、弁護士さんまで着いて下さり、県警に告発して受理され、拉致の可能性の高い失踪者になっております(1000番台リスト)。警察の方々が今また改めて一生懸命して下さっております。両親が自らの失踪じゃない事を証明してもらうためにも、絶対に解決して頂きたいです。

 これ以上に長引くことのないよう。
 私たち兄弟にもう一度お父さん・お母さんと呼ばせて下さい。
 孫たちにじいちゃん・ばあちゃんと合わせて下さい。
 ひ孫たちにじぃじ・ばぁばと呼ばせて下さい。

 平等に生きる権利があったはずです。言葉も文化も食生活も違う異国で、どんなにか子供や故郷を思いながら、悲しみ苦しんでいることでしょうか。自分の身内に(子供や親。兄弟がと)こんな事があったならと、自分のこととして考えてみて下さい。心が張り裂けそうです。行けるものなら、足の続く限り探し回りたい気持ちです。探しに行きたいです。せめて残り少ない限られた命のある限りを、私達と生活させてください。連れ戻してください。どんな姿になっていてもいいです。父と母を助けて下さい。どんなにか助けを待っていると思います。議員の皆様方にす
がるしかございません。どうかどうか宜しくお願い申し上げます。

*今、各地での署名活動などに、拉致被害者家族の市川健一様達と走り回っている現状です。

園田 一・トシ子の娘 前山 利恵子


 

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