自由と民主 

 自由とは、外部からも内部からも何の拘束や圧力などに影響されず思うとおりに動いたり考えたりできる状態をいい、民主とは、民が主人公であり、個人が原点で個人があっての公というものの考えだと わたしは認識している。どちらも、聞こえのいい言葉であるし、どちらも政党名に採用されている。
 日本の政治が大きく変わろうとしている今、民主党政権が今後どんな政策をどんな順番で具体的に実行していくのか・・・じっくりみていきたい。特に拉致問題をどの程度の重要課題と考えているのかをじっくり観ていきたい。
 さて、自由の意味を「何でもあり、何やってもいい」と誤った解釈をするのは子供だけでなく、大人でもたくさんいる。大人の方が多いかも知れない。昨日も書いたが、企業の特に経営者や責任者のわがままには、呆れるばかりでまさに「自由」を履き違えた大人たちの無責任な行動や振る舞いには辟易する。子供なら指導や教育によって修正や立ち直りも期待できるが、大人に再教育しても子供ほどの柔軟性や可塑性がない。思い込みがはげしい人ほど難しい。
 自由とは確かに何でもありだが、その中に重い責任が伴うことも忘れてはいけない。責任が伴わない自由は、わがままを助長し犯罪が蔓延する不健全で不安な無秩序な社会になる。その典型が北朝鮮。自分と自分を持ち上げてくれる人だけの自由を謳歌しているのが、今の北朝鮮金一族。今も自由を奪われている拉致被害者が北朝鮮のどこかに必ずいる。 たった一人のたった一つの思わくだけで、どれだけの人の自由が蹂躙・侵害されているのか・・・
 まず返せよ北朝鮮金一族、奪い去った多くの日本人拉致被害者すべてを・・・・つづく
カテゴリー: 拉致問題 パーマリンク

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