曽我ひとみさんが佐渡市で署名活動

北朝鮮に拉致された曽我ひとみさんが、31年前にともに拉致され、今も行方がわからない母親のミヨシさんの救出を訴えて、地元の新潟県佐渡市で署名活動を行いました。

 曽我ひとみさんと支援者などおよそ10人は、新潟県佐渡市の16日から始まった音楽イベントの会場近くで、行方不明の母、ミヨシさんをはじめとする拉致被害者全員の救出を訴え、署名を呼びかけました。曽我ひとみさんは、19歳だった昭和53年8月12日の夜、母親のミヨシさんとともに、自宅近くの商店まで買い物に出かけた帰り道に拉致されました。ひとみさんは24年後の平成14年10月に帰国し、その後、家族とともに佐渡で暮らしていますが、ミヨシさんの行方は今もわかっていません。曽我ひとみさんは「私と母は何も悪いことをしていないのに拉致され、長い間、母に会うことができず、声も聞くことができず、怒りがわいてきます。もし、あのとき、買い物に行っていなかったらと考えてしまいます。一日も早く母が佐渡に帰ってきて昔の暮らしができることを願っています」と述べ、一日も早い拉致問題の解決を訴えました。署名した25歳の会社員の女性は「31年という歳月は、人生において計り知れないもので、一日も早く解決してほしいと思います」と話していました。http://www3.nhk.or.jp/news/k10014928441000.html


 曽我ひとみさんは拉致被害者であり、被害者家族でもある。彼女の帰国がなかったら、その後の、いわゆる特定失踪者の家族の申し出や届出がこれ程(約470)になったであろうか?日本政府や救う会も予想していなかった人(拉致の可能性が低いとされていた曽我さん)が帰ってきたことが、その後の拉致救出の運動の転換点になったと私は思う。

 もしや、何年も前に、忽然と消えた自分の家族も北朝鮮に拉致されたのでは・・・・と届け出る家族が続出した。あまりにも多いし、救う会だけでは抱えきれないと判断して、その調査部門が分離独立したのが、調査会である。その代表が荒木和博さんである。調査会に届けを出して公開を家族が承諾している人がポスターに載る。非公開を含め約470名の、そうした拉致可能性が否定できない、排除できない失踪者を特定失踪者と呼んでいる。それまでは、単に行方不明者としか呼ばれなかった人々である。特定の意味するところをぜひ、ご理解願いたい。

 

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