官房長官への手紙 その4(河嶋功一さんの母より)7.1

内閣官房長官 河村建夫様
 
 お願いを申し上げます。
 
 この度はお忙しい中誠に有り難うございます。
 
 1982年3月21日横浜市金沢区州崎より行方不明
 
 静岡県浜松市●河嶋功一
 
 1982年3月20日関東学院大学を卒業した息子功一の日程に合わせ下宿に荷物を引き上げに行き車に荷物を積んで居るうち生憎雨が降りだし車の中に息子が乗るスペースが無く 先に新幹線で帰るようにと下宿より 30メートル位の所迄見送り浜松に帰って居るはずの功一の姿は私達が帰った時には有りませんでした。
 
 私達は一旦荷物を降ろし再び横浜へと引き返し一日中探したが誰一人息子に会った人は無く、取り敢えず金沢警察に捜索願いを22日提出し戸籍が浜松だから浜松にも捜索願いを提出して置くように金沢警察の方に勧められ翌23日に浜松中央署にも捜索願いを提出し二年毎に一度の捜索願いと本人不在の住民票を取り捜して参りました。
 
※ 2002年小泉総理が北朝鮮を訪朝し蓮池さん達拉致被害者三家族が帰って来たとき息子功一も拉致されて居るのではと思い調査会と言う所が有る事を知り一度依頼するように勧められ特定失踪者問題調査会に依頼し功一の行方不明を知った高校時代の同級生の人達が{河嶋功一を探す会}を作って私達家族を支援してくれています。
 
 私は今この人達の暖かい支援に支えられ息子を捜し続けて居ります。今、拉致の可能性を排除出来ない調査会の1000番台リストに入、功一ではと情報が寄せられ2007年には韓国まで足を運び情報を確かめにいき、今又別表記してある情報も出ています。この情報の信憑性を確かめる為 現在神奈川警察に鑑定は依頼致して居りますがこの写真の件は 一日も早く政府の力で調査して戴きたいのです。
 
 今、功一の父孝浩は病床に伏命の危険と戦っています。一刻の猶予も有りません。宜しくお願いします。こうした事は私の家だけでは有りません。失踪者の家族皆さん高齢になりこうして家族を待ち続けております。政府拉致認定者だけでは無い、こうして安否を待ちわびて要る人達家族を見捨て無いで下さい。一日も早い救出を宜しくお願い申し上げます。
 
失踪者   河嶋 功一 母 河嶋 愛子

カテゴリー: 拉致問題 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中