古川了子さん失踪から36年

 1973年7月7日突然失踪。
 1973年7月7日土曜日,会社が休日であったので,了子は,昼ころに自宅近くの美容院「あすか美容室」へ行き,午後は千葉市内で原告母と共に浴衣(ゆかた)を買いに行く予定となっていた。
 了子は,美容院の予約を7月6日夜に行った。また了子は,以前から原告母に対して「自分のお金で浴衣を買いたいから,一緒に見て欲しい」と頼んでおり,7月6日が夏季賞与の支給日だったことから,原告母が「7日の午後なら花市場(千葉市内)に行くから,そのときにしましょう」と答えて,7日に買いに行く約束となったものである。
 7日当日,原告母は,午前中,自宅から徒歩20分ほどの距離にある,自己の経営する生花店で仕事をし,午後2時半ないし3時ころに了子と京成電鉄千葉駅(現在の京成千葉中央駅)で会うつもりであった。ところが原告母は,了子が行く予定になっていた美容院から,以下のような伝言があったとの連絡を受けた。
 すなわち,昼前ころ,了子から美容院に電話があり,「今日の予約は用事ができたので行けなくなった。それから,自分の母親に浴衣を買いに行けなくなったと伝えてください」と言ってきた。了子の電話の後ろが騒がしかったので,「今どこ?」と尋ねたところ,了子は「千葉駅」と答えた,というのである。
 美容院より了子の伝言を聞いた原告母は,了子本人からの連絡を待ったものの,同日から了子の消息が一切不明となった。原告母は了子の友人らに尋ねて回ったが,行方は全く分からず,同月9日月曜日,会社の上司と相談して,市原警察署菊間駐在所(当時)に捜索願を提出した。
 その後原告らは,ポスターを作成し,電柱はもとより千葉市内の公衆浴場等にも掲示したり,中学や高校の同窓生に情報提供を呼びかける手紙を出したりした。また,新聞に写真入りで尋ね人欄に掲載したり,当時の日本教育テレビ(テレビ朝日の前身)の朝のワイドショー番組の「蒸発」コーナーに両親が出演するなどして訴えた。しかし,了子の消息は一切つかむことができなかった。

4 北朝鮮当局による拉致と判断する根拠
(1) 自ら失踪すべき理由が一切ない。
(2) 北朝鮮元工作員安明進氏による詳しい目撃証言の存在
(3) 時期・性別・年齢の特徴等


 以上は川人弁護士のホームページからの抜粋です。明日7月7日は、古川了子さん失踪から36年目にあたります。
兄 藤田進の失踪の3年も前、田口八重子さんの拉致より5年も前のことです。
 特定失踪者の家族は今も声を大にして、家族を返せとすら叫べないのです。
7・1首相官邸に入る特定失踪者家族ら
右から3番目の女性が古川さんの姉、竹下珠路(たまじ)さんです。
カテゴリー: 拉致問題 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中