河嶋功一さん

 朝、出勤途中のコンビニで、金正日と写る拉致被害者 という見出しの週刊現代の表紙に目を奪われ、さっそく立ち見。時間が無いので、買って昼休みに読んだ。
すると、特定失踪者の河嶋功一さんが先日4・5ミサイル発射の時に撮影されたとされる写真の中に写っているのだと・・・・最後方列の右から4人目の人物が本人だと・・・
 今日、仕事を終え帰宅途中のラジオで、北朝鮮が核実験を強行したことが報じられ、一昨日は韓国前大統領の死(自殺?)報道と朝鮮半島情勢があわただしい。
 田口八重子さんの兄から頂いた京都八橋を食べながら、本日届いた 調査会ニュースにめを通す。
 電脳補完録にもこの件の扱いが大きく報じられている。http://nyt.trycomp.com/modules/news/
 調査会の河嶋功一さんの基本情報はこちらhttp://www.listserver.sakura.ne.jp/cgi-bin/list/list3.cgi?word3=115&mode=search3
氏名 河嶋 功一 失踪年月日 昭和57(1982)年3月22日
ふりがな かわしま こういち 生年月日 昭和33(1958)年5月5日
性別 当時の年齢 23
身長 168センチ 体重 58~60キロ
公開 第2次公開
当時の身分 大学卒業直後
特徴 野球のピッチャーをしていたので、右腕が掌半分くらい左腕より長い。怪我で左手中指が縫合し、少し内側に曲がっている。膝上よりふくらはぎにかけてケロイド状の火傷跡あり。少しうつむき加減につま先に力を掛けて早足で歩く。
失踪場所 神奈川県横浜市金沢区洲崎
失踪状況 関東学院大学機械工学科を卒業したばかりで、浜松に就職も決まっていた。当日は父親たちが車で下宿へ荷物を取りに行く。父親は荷物とともに車で、本人は汽車で浜松に帰ることにした。功一さんは「先に浜松に帰っている」と、午前9時半頃下宿を出た。父親は50~60m先の角を曲がるところまで見送った。父が「交通渋滞で帰りが遅れる」と浜松の実家に電話したが、功一さんは未だ帰っていなかった。荷物を下ろし夜遅く横浜に引き返すが、本人はいなかった。当時小雨で傘一本、電車賃・本人の小遣い程度しか持っていない。
カテゴリー: 拉致問題 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中