金賢姫さんから八重子さんの兄への手紙

 北朝鮮の工作員にさせられていた金賢姫さんから、八重子さんの兄あてに手紙が届けられました。
彼女はまだ日本に来ることができずにいます。ぜひ、日本政府も彼女を招待して自由に行き来できるようにして欲しいものです。
以下に、手紙の全文を掲載します。彼女がいかにすばらしい方かがわかると思います。 
 
飯塚繁雄 拉致被害者家族連絡会代表様

 こんにちは。私は金賢姫です。

 3月中旬、飯塚代表と八重子さんの息子耕一郎さんに釜山で劇的に会い、妹さんに関するお話をしてからでもすでに2カ月になりました。

 趙甲済先生が5月6日の拉致被害者家族会が主催する国民大集会に出席されるという話を聞いて、私の手紙を託しました。

 飯塚代表と面談しながら私は、兄として妹の代わりに耕一郎さんを30余年間、しっかり育ててきた、飯塚代表の献身的な心に畏敬の念を持ちました。

 息子に会いたいと招待所で多くの日々を涙で過ごした八重子さんも、息子に関する消息を知ればお兄さんに限りない感謝と喜びを感じるでしょう。

 私は飯塚代表が私に直接くださった「妹よ」(飯塚繁雄さん著書)という本を読みました。その本を通じて飯塚代表と拉致被害者家族たちが救出運動をしながら、この間どれほど困難で孤独な戦いの道を歩いてきたのかを知ることになりました。

 家族会がはじめて拉致被害者救出のための署名運動を展開したとき、一般の人たちは冷淡な表情で「そんなことをして拉致被害者が帰ってこられるのか」と無関心だったが、家族会の不断の努力により多くの市民が理解し手紙と激励を送り、署名運動へ積極的に参加してくれ、関心を持つようになったといいます。

 そしてこのような民間団体の救出運動が次第に拡大され日本政府の協力にまでつながり、ついに韓国政府まで心を動かして3月釜山で私と飯塚耕一郎さんが会うという歴史的な日が来ました。

 私は飯塚代表が2003年6月頃、韓国の拉致家族の招きを受け韓国を訪問し、北朝鮮が見える臨津閣(イムジンカク)まで行って妹のことを想ったという事実を本を通じて初めて知りました。

 親北的だった盧武鉉政権は私にそのような事実を通報せず、言論にもきちんと報道されませんでした。

 最近、北朝鮮の長距離ミサイル発射と核燃料棒再処理などにより日朝関係が悪化したと思います。しかし、いつかは日朝関係が好転するだろうと信じます。そのときのために家族会などの民間団体と政府がいま準備をしなければならないと思います。

 数年前、南北関係が好転したとき、別々に暮らしていた多くの離散家族がソウルと金剛山で何回も面会した事実があります。日本もまた2002年10月頃に拉致被害者5名が北朝鮮から解放され帰還した歴史的な事実があります。

 このように市民団体と政府、そして国民が勇気を持って努力し続けるなら会いたかった家族にかならず会える日が来るのです。私はその日が一日でも早く来ることを祈っています。

 そして、家族会の救出運動の消息が凍り付いた北朝鮮の地にも広く伝えられていくことを願っています。

 くれぐれもご自愛下さい。さようなら。

2009年4月下旬

金賢姫

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